【報告】アジアの反中国共産党団体、代表が総結集 : 宮崎正弘の国際ニュース・早読み

投稿日 :2015年10月28日

※評論家、宮崎正弘氏のメールマガジンで配信された東京集会の報告文を転載させていただきました。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成27年(2015)10月26日(月曜日)
通算第4699号 <4700号直前特大号>
http://melma.com/backnumber_45206_6277810/


 「アジアの民主化を促進する東京集会」と銘打たれた第五回「アジア自由民主連帯協議会」(ペマギャル歩代表)が2015年10月24日、東京で盛況裡に開催された。
会場を満員にした参加者の決議文「いかなる侵略にも覇権主義にも反対し、このアジアの真の民主化と民族自決権が確立するその日まで戦い続ける」という決議文が満場一致で採択された。

 会は最初に副会長のイリハム氏から開催に到るまでの経過などが述べられ、来賓とした駆けつけた衆議院議員の柿沢未途氏(維新の党)から激励の挨拶。そして記念講演としてジャーナリストの相馬勝氏(元産経新聞香港特派員)が登壇し、中国の現実と経済的苦境を説明した。


 ▼悪循環に陥落した中国はソ連末期と告示してきた

 相馬氏は講演のなかで、「習近平の推進する反腐敗キャンペーンによって、戦々恐々となった共産党幹部が動かなくなった。幹部が仕事をしないために、経済が動かなくなり、ついで庶民の不満が増大し、幹部はまた腐敗、党規違反などといわれて拘束される。だから幹部は動かない」という悪循環の罠に陥ってしまった。中国経済の停滞はソ連の崩壊のパターンに類似してきた」とした。

 相馬氏の講演にひきつづき、登壇したのは政治学者の藤井厳喜氏で、市ヶ谷に建立されたインドネシアのスディルマン将軍の銅像の由来、日本とインドネシアの連帯のつよさなどの報告があった。

 ひきつづきアジア各国の代表がたち、現状報告に移った。
 トップバッターはウィグル自治区(東トルキスタン)を代表して、グリスタン女史。
「東トルキスタンではいま幼児教育の現場で大変なことがおきています。幼稚園の段階で、無理矢理、中国語が押しつけられ、弐年間のおさない幼児らに中国の主観による教育がたたき込まれています。その洗脳によってウィグル族は母国語を失い、やがて物事を考えるのも中国語でしなければいけなくなり、大事な民族の宗教、伝統、文化が失われてしまいます。算数や歴史、科学が中国語でしか理解できなくなるのです。
となればウィグル族としての意識が希薄になり、テレビ番組も中国語放送、運転免許書も中国語で試験をうけるとなれば、ウィグルの民族意識、伝統がなくなり、自らの歴史を語り継ぐことさえ中国が冒頭しているのです。このような中国共産党はアジアにうまれたガンです」。
まさに歴史を抹殺すれば、その民族は滅びる。
中国はそれほど悪辣な教育をウィグルでは幼稚園を増設して、おこなっているという衝撃的な報告だった。

 つづいてチベット代表のチュイ・デンプン博士。
 「チベットでは寺院にも中国旗がはためき、人類の普遍的価値である自由・人権・法治・民主が奪われ、まさに『中国の植民地』と化しています。
古来よりのチベットの宗教、歴史、言語を回復しようにも中国の公安があちこちに監視の目を張り巡らせております。私たちは高度の自治を要求してきたのです。しかし2008年に中国はチベット国民の悲願であった自治を拒否した。このため各地に焼身自殺による抗議が翌年から頻発し、現在までに147名の人々が犠牲となりました。
こうした同胞の死を無駄にしないために、同胞の魂が蘇るまで、この野蛮の中国の政治をこれ以上許すことは出来ません。わたしたちは非暴力を貫き、闘います。
 また日本は戦後、アジアの誇りであり、日本こそはアジアに平和をもたらず総合的パワーの源泉であり、過去の反省も勇気と自信をもって未来に繋げるという自身を恢弘し、立ち上がることを強く期待しております」。


 ▼反中国のベトナムとて政治は一党独裁という矛盾

 ベトナムからアウン・ミン・ユン(ベトナム革新党)が登壇して挨拶した。
 「ベトナムも一党独裁で人々の自由を踏みにじり、かの共産主義は人々を弾圧してきた。この独裁は北朝鮮と同じだが、北はあまりにも酷いので目立つのに、ベトナムの独裁は巧妙ゆえに目立ちません。
いま日本人はベトナムに観光にきて自由に観光地をあるきまわり、食事をしているが、ベトナムの本当の姿が分かっていない。マスコミも大事なことを伝えていない。 
 ベトナムでは官吏の腐敗もめにあまり、賄賂、ピンはねが横行し、中国への抗議でさえベトナム執権問うが許可しないのです。
自由と民主を要求する知識人は監禁されています。ベトナムは一日もはやく『脱中国』をはからなければ、ベトナムがだめになってしまうのです。われわれは、自由のために、平和的手段を通じてこれからも闘い続けます」。

 南モンゴル(内蒙古自治区)を代表しての演説はオルホルド・タイチン氏。
 「1945年の世界大戦の結果、列強の干渉によって、モンゴルは南北ふたつに引き裂かれ、中国の侵略によってあらためて南北に分断されたのが南モンゴルです。
これを中国は『内蒙古自治区』などと呼び変え、その後、夥しい漢族が入植しました。モンゴル人は『自治』を無視されて凄惨な弾圧をされ続け、じつは文革中に、もっとも粛清の犠牲が多かったのはモンゴル人なのです。
モンゴルのエリート、知識人は殺され、或いは政府のポストから外され、自治区とは名ばかりの『植民地』とされてきたのです。
これほどの弾圧によって、モンゴルの伝統文化、風習、宗教が破壊され尽くしたのに、海外では南モンゴルのことはあまり問題視されていません。
南モンゴルの問題は世界でなにほども問題視されていないのも、人口比率でモンゴル人は18%しかいなくなり、共産革命から半世紀で、もののみごとにわれわれの祖国からモンゴルらしさが消えた。アイデンティティのすべてが失われたのです。
 にもかかわらず北京の軍事パレードに国連の幹部が出席したことは、恥ではないのですか。中国の横暴をここまで容認しているのです。
 日本は自由の国であり、この地から私たちは自由・民主の炬火を掲げ、中国の民主化を達成して、われわれの自決権を勝ち取るまで戦い続けます」。


 ▼中国の民主活動家も参加した。

そして中国の代表がふたり登壇した。
最初は中国の「中国民運団体協議会」から王戴氏が演壇に立った。
「中国は他民族の弾圧ばかりではなく自国内で知識人、民主活動家を弾圧しています。いまの抑圧政治は文革のときと同じレベルの凄まじさです。
 一例を挙げます。民主を擁護する自由民権派の弁護士、王宇さんは息子が豪州へ留学するため北京空港へ向かう途中に家族ごと拘束されました。そのうえ、息子の包くんは酷い拷問を受けました。ようやく息子さんは釈放されても監視され、自宅には戻れず内蒙古の親戚宅に預けられ、さらにはパスポートと取り上げられ、外部との接見を禁止されました。豪州留学先のホームスティの費用も取り上げられ、まるで『天国から地獄』へ転落したかのようになり、包くんは一度脱出に成功したのですがミャンマーの逃亡先で行方不明となりました。おそらく逃亡ルートに中国の工作員が紛れ込んでいた。
このように人権を弾圧することは国連決議にも違反しており、ほかにも、このような人権擁護の弁護士等が二百数十名も拘束されているのです。
 覇権をめざす中国共産党を打倒するために、私たちの闘いは続きます。ご支援をおねがいします」。

 もうひとりは朝鮮族の南京男(ナンジンが本名)。吉林省朝鮮自治区出身。
「中国国民は自由を奪われ、中国憲法で保障された生活の自由、安全が脅かされ、7億人から9億人と推定される貧困層は塗炭の苦しみ、生活の苦境にあえいでいます。中国の経済繁栄とは権貴階級の利益が最大級になるだけのものであり、少数民族への弾圧と同様な専政ぶりなのです。
少数民族にとって信仰は民俗のアイデンティティであり、団結の、精神の旗でしょう。生命の最重要な核心的要素でもであり、これがマルクス主義者によって、あらゆる階層が、党への帰順を強要されている。少数民族自治区へ大量の漢族を入植させ、長期化させ、自由を奪い、信仰を奪うということは対中国共産党への憎悪を高めさせていることでもあり、この独裁を打倒し、真の民主化をいそがなければならないのです」。
この大会に中国人代表が出席したこと自体が異例である。


 ▼バングラデシュ、ミャンマーの民主化はいま

 バングラデシュからはプレビール・ビカシュ・シャーカー代表が登壇した。
「いまのバングラはまだ自由な国とはいえません。しかし、いまの運動の盛り上がり方を見ていると百年前の興亜の状況、ベンガルからも日本の世論に助けられ、独立運動が燃えさかった時代を彷彿とさせてくれます。アジア諸国は日本の発言力に期待しているのです」
 
 ミャンマー代表は「南機関の活躍とともにミャンマーは独立できたのである。ビルマ独立義勇群は戦術的に日本と敵対することもありましたが、最終目的は英国軍と闘い独立を達成することでした。
私たちの先祖は、日本軍とともに闘ってミャンマーは独立を獲得できたのです」と力強く日本の協力を力説した。

 最後に集会を総括して代表のペマ・ギャルポ氏が「アジア全域で自由を目ざす運動の拡大をはかり、米国の押しつけ的な民主主義を乗り越え、ベストで当該諸国に適切な民主主義を確立することを共有する価値観として、これからも運動は続けられる。とくに私たちは若い世代の育成にもはげみたい」とこれからの方針と抱負を述べた。